活動記録其の7・木曽川編part1
文:隊長
2001年4月1日
今シーズン初木曽川! 天気晴朗なれどもチーム“鮫”、川原でホームレス!?
今回のMAP


白い雲が真っ青な空をバックに流れる晴天の元、桜も咲き始め、所によっては満開となっていた4月1日(日)仏滅のエイプリルフール。午後約12時、愛知県と岐阜県の県境・木曽川の中流域・犬山橋より下(超中流)の木津付近でチーム“鮫”はエントリーした。今回のメンバーは隊長(オレ)、土居隊員、イシカワ顧問と、1週間後から英国に語学留学に行くという荒川ゲスト隊員(♀)という4名である。
 前回、前々回と未知の川に挑み、連発で撃沈事件を起こしているチーム“鮫”であったが、今回は“ホームリバー”木曽川の超お気楽・ゆったり川流れコースのため、いわゆるひとつの「事件」は何も起きないと思われた。
 ところでチーム“鮫”には10の「掟」がある。それは過去の経験(笑)から得た貴重な(わずかな)教訓と、“鮫”を“鮫”たらしめている「お気楽リバーツアー」を楽しむための「仕掛け」ってゆーか、ルールってゆーか、なんかノリで決めた「掟」があるのである(「鮫の掟」参照)。
 ここんとこ初挑戦の川下りが続いたため余裕がなく、破りに破っていた鉄(戻るけどスグ曲がるので「形状記憶合金」というハナシもある)の掟「昼メシは断じて川原で食う!」を遵守するのも今回のツアーの目標のひとつであった。
 このいかにもチーム“鮫”的な牧歌的かつ、ささやかな目標が達成されるのにさほど障害があろうとは、今回参加メンバーのいったい誰が想像し得たであろうか。
ちなみに大げさに「昼メシの掟」といっても、過去に食ったものといえば買っていったお弁当、おにぎり、唐揚げ、ソーセージ、などの既製品(?)の他はシーフードラーメン、カルビ焼き肉、ビーフ&シーフードシチューぐらいであるというチープさも“鮫”を“鮫”たらしめている理由のひとつなのであった。
そこへ持ってきて今回我々は、輪を掛けてさらにお手軽なメニューを採用していた。そのメニューとは、
「カップラーメン」
これを“メニュー”などと呼んでバチが当たらないものかどうか意見が分かれるところであるが、とりあえず今回我々は途中でコンビニに寄ってそれぞれ好みのカップラーメンと水を購入していた。湯沸かし用のキャンプコンロはいつもツアーに持っていく、折り畳みで超軽量なものを準備している。あとは川原で組み立てて水を沸かし、カップに注いで3分待つのみ! のハズだったのだ。

 水の上に出て数分後、根尾川ツアーの時と同様、オレはまたしても来るところまで来てから重要なことを思い出していた。
「し、しまった。ナベ忘れた...」
 あほである。
 水とラーメンと火力があるのに、肝心要のお湯を沸かす「容器」が無い! この場合一番忘れがちな「箸」はキッチリ前日から準備していたにも関わらず、本当にご丁寧に「ナベ」だけを忘れていた。
 この瞬間、川原で食べられるものは土居隊員が一個だけ買ってきたおにぎりと、荒川ゲスト隊員(♀)が車中でボリボリ食い散らかしながら持ってきたお菓子の残りだけとなってしまった。
「ラ、ラーメンが...」
空腹感に突き動かされて軽くめまいを感じたオレがそうつぶやいた頃、一つ目の瀬の音が聞こえ始めていた。しかし東海豪雨で川底が馴らされたのか、昨年より波は低いように思われるほど簡単に通過する。チーム“鮫”初の「2人艇に2人乗り」という土居隊員&荒川ゲスト隊員(♀)のGUMOTEX-ヘリオスも、二人のイキが合わずあっちゃこっちゃ行きつつ二人艇の安定感はバツグンでちゃんとついてきていた。
しかしもうひとつ2級程度の瀬を越え、いつものランチポイントの川原に接岸したオレの足取りは重かった。
「くそー、ラーメン...」
 ふたたびつぶやくが、そんなフネでしか来られないような川原に、突然湯沸かしに使えるようなナベが我々の到着を待っているはずもなく、仕方なくそのヘンに座り込んで少ないお菓子を分け合って食べるミジメな状況となってしまった。

食べられないと分かっていてもついついカップラーメンを開封して「なんとか食えないかなー」などと呟くイシカワ顧問。「食いましょう!」と、何の根拠もなく元気よく叫ぶ土居隊員。
「はぁ...」と、しょぼくれるオレ。という三者三様の光景が展開されている中、第4の人物、その段階ですでに川原で缶ビール片手に飲んだくれ、デキあがりかけていた荒川ゲスト隊員(♀)のアルコールが充満したアタマに1つの閃光が走った。
「コレで沸かないかなー?」
と、彼女(♀)が差し出したのはカラになった缶ビールの缶であった。
「マジでー?」
とかいいつつ空腹で、もーどーでも良くなっていたオレは「そーいえば今日に限って、いつも持ってる缶切り付きのナイフも忘れたなぁ」などとぼやきながらも、「じゃあ一回水でゆすいでからねー」などと具体的な指示を出してしまっていた。

 その結果、気温が低いためボンベを手でこすって暖めないといまいち火力が上がらないものの、とりあえずビールの空き缶でもお湯が沸かせることが判明!
素朴に感動した我々は350ml缶のため、ひとり分ずつしか湯を沸かせないというハンデをものともせず、ひと缶あたり約20分かけてチマチマとお湯を沸かし、順番に少々ヌルいラーメンをすすって飢えをしのいだのであった。
 その様はまさにホームレスの如き...というのはホームレスの人に失礼であろう。今時ホームレスの人でもナベくらい持っているのでそれ以下である。まさに空襲で何もかも失った「戦後の焼け跡」状態のような光景であった(見たことないけど)。
そんな、オートキャンプに慣れたアウトドア愛好家が見たらあまりの哀れさに涙してしまいそうな食事風景ながらも、とりあえず1時間以上かけてカップラーメン一個の昼食で空腹を満たした我々は再度出発。その約3時間後には無事に全行程約16kmを漕ぎきり、笠松付近で上陸した。
 帰りには哀情あふれる昼食に刺激された反動で唸る胃袋とともにステーキハウスに一斉突入し、「にくにくにくー!」とゾンビの様に肉をむさぼり食ったのであった。

今回の教訓: 「川原で料理するならナベを忘れるな!」