活動記録其の9・牧田川編
文:隊長
2001年4月22日
チーム“鮫”崩壊の危機!?“優しい”牧田川に敵前逃亡率50%!!
〜そしてスキップジャックには花束を〜
 前日のグズついた天気がウソの様に晴れた4月22日(日)、ちまたでは任期満了に伴う名古屋市長選挙(ちゃんと朝イチで行って来ました)と、これまた政治生命満了に伴う自民党総裁選予備選(これは投票権がなかった)が行われていたこの日、岐阜県は揖斐川の支流・牧田川にはオレ(隊長)とイシカワ顧問、そして今期初参戦のラスティック伊藤隊員の姿があった。本当はこの3人の他に、ダッシュ隊員、“撃沈王”イチロー隊員、そして“もっち”岡本新入隊員という合計6名というこれまた今期最多のメンバーで臨む予定となっていた今回の牧田川ツアーであったが、フタを開けて見れば“撃沈王”イチロー隊員&“もっち”岡本新入隊員は突然の用事とやらで21日深夜に不参加を表明。ダッシュ隊員に至っては当日、集合時間になってから電話してきて、遅刻かと思えば大学に保管してあった(放置してあったという目撃証言もある)スキップジャック“ダッシュ号”が「捨てられていた」というハナシにならない情けない理由で今回、不参加となってしまった。
 ドタキャン率50%。何というていたらくであろう。といってもこれこそ非体育会系の、我がチーム“鮫”を象徴する出来事と言えばそうなのかも知れない。とにかく今回は6名のはずが3名となってしまったが、とりあえず気を取り直して我々は今年度のテーマである「未知の川へのチャレンジ」計画第3弾として牧田川に向かったのだった。
 大安町のジャスコに集結し、昼食用の食材を仕入れた我々は一路365号線を北上。上石津トンネルの手前で牧田川沿いを走る旧道に入り、スカウティングを開始した。前日の雨は大したことなかったらしく、牧田川はあまり水量もなくトロトロと流れていた。
 「うわぁ、水、少ねぇ」というのが正直な感想だった。しかもその後、車でアウトポイントを探しに下流に向かうが、事前に地図で確認して予定していたところまで行く以前に、牧田川は山間部こそ狭い川幅のためか水深があるものの、山が開けて少し平野っぽくなった瞬間、急に川幅が広がり、ザラ瀬ばかりのだらしない川へと変貌を遂げてしまった。ガックリした我々は急遽、距離を当初の14km前後から半分以下の約6kmとし、山間部だけをのんびり下ることとした。それでも水深はほとんどの所で我々の主力艇であるところの“超お手軽・なんちゃってインフレータブルカヤック”スキップジャックがギリギリ通れる程度しかないように思われた。
「こりゃあ、今日は瀬もなさそーだし、沈対策なんかしなくてもいーなー」
というオレのセリフに対し、
「いや、根尾川の例もありますから」
と、冷静なイシカワ顧問はヘルメットこそ被ってはいないものの、ほぼフル装備であった。「山間部」というロケーションのため、根尾川のトラウマが蘇ったのだろうか。表情は少し曇り、緊張の色を隠せてはいない。

今回、まだスキップジャックしか持っていないラスティック伊藤隊員はもちろんのこと、チーム“鮫”に似つかわしくない高級インフレータブルカヤック「カラカルT」を駆るイシカワ顧問も、今日は安全策をとって喫水の浅いスキップジャックを持ってきていた。オレも今回は“シャーク2号”GUMOTEX-jrに換えて、ほぼ1年半ぶりに“シャーク1号”スキップジャックを用意してきた。そのおかげで2号より遥かに安定の良い1号という安心感と、トロトロと流れるイカにも「大したことない」牧田川、そして何より、タマにかけらレベルの雲がすぅーっと流れていく程度の超・晴天にオレの心はいやが上にも弛みきってしまっていた...。

 約13:00、上石津トンネル出口付近下の河原からエントリーした、久々に全員スキップジャックという原点に帰った我々は、早速苔でヌルついた岩を「すべり越える」ようにかすったり時々止まったりしながら進むという、のどかなリバーツーリングを開始した。
 本当に「のどか」である。左手の上方50mぐらいに時折白いガードレール(しかも旧道なので車はまったく、と言っていいほど通らない)が見えるぐらいで、あとは切り立った山に囲まれた牧田川には人工的な音が聞こえてくる余地がない。
 「ホー、ホーホーホー、ホケキョ」というウグイスの鳴き声がどこからか聞こえてきた。これぞ正しいニッポンの春そのものである。
水は澄み、「せせらぎ」といった感じでさらさら流れ、ポカポカ陽気の中、我々は大自然の優しさに抱かれてゆっくりと下っていった。最高である。せいぜい1級程度の瀬しかない牧田川はどこまでも優しかった。これでもうちょっと水量が多ければなぁと、つい思ってしまうが、そんなことさえ「贅沢」と思えた。時間が止まったようにすら感じられるほど、牧田川は優しく、静かで、我々は大自然の慈愛に満たされ、癒されていた。そう、まさに牧田川は“癒し系”の川だったのだ。
 思ったほど歩くこともなく、なんとか進んでいった我々の行く手にしばらくすると、突如ゴツゴツとした岩が突きだして水の流れが散り散りになっている箇所が現れた。先頭を行ったイシカワ顧問は左手の比較的幅の広い水路を行こうとしたが、そこはとても浅くフネは止まってしまった。仕方なく下りて歩きだしたイシカワ顧問に、オレはどこか通れそうなところはないか尋ねた。水面に近い目線より、立っている人間の目線の方が当たり前だが周りがよく見えるからである。イシカワ顧問は右側の岩がやたらゴツゴツしている所を指さし、言った。
「あそこしか通れるところ無いですよ」
 しかしそこは小さなスキップジャックが辛うじて通れるぐらいの幅の水路がうねり、落差も2級くらいはある。しかしそこは優しい牧田川、流れは全然キツくないため、岩にぶつかり撃沈するなどとは到底考えられないほどの弱流である。オレはちゅうちょ無くそのコースに入り、なんなくフネをコントロールしてクリア。2人艇では長すぎて確実に引っかかってしまう狭いスラローム状の水路だ。続いてラスティック伊藤隊員が入ってくる。オレもイシカワ顧問も岩場をカッコ良くすり抜けるラスティック伊藤隊員の姿をカメラに収めようと構える。どうということもなくクリアするところを撮影した我々が、そそくさとカメラをしまい、パドルを手にしようとしたその瞬間、事件は起こった。

「ザボン!」という音がした方を振り向くと、なんとラスティック伊藤隊員は水の中に居るではないか。 疎沈である。クリアしたのに安心して(撮ってる我々も安心したぐらい)気を抜いた瞬間、手前に隠れ岩があり、横腹をつまづいたラスティック艇はグラリと傾き横方向にクルリと一回転。搭乗者の伊藤隊員を振り落としてしまったのだ。伊藤隊員は一瞬何が起こったのかわからなかったといった表情で、とりあえず水の中から荷物を拾っている。足が着く深さなのでなんて事はなかったのだが、木曽川、員弁川から西表島・仲間川、果てはシーカヤックまでこなしてきて、一度たりとも沈したことがなかった伊藤隊員である。油断大敵であるが、彼の精神的ショックは大きいようだった。しかしオレもイシカワ顧問もとっさにカメラを取り出し、無情にもその動揺するラスティック伊藤隊員の姿をシッカリとフィルムに焼き付けていたことは言うまでもない。
その後、適当に腹が減っていて、ランチポイントを探していた我々はラスティック伊藤隊員の態勢を整える意味もあってその岩場のスグ後の川原に上陸した。今日の昼飯は味噌チャーシュウメンである。
 今回はナベを忘れることもなく、また水を流すこともなく普通に5人前のラーメンを作った我々3人は、これまた普通にそれをすべて平らげ、30分後再び川を下り始めた。

しかし、後半の牧田川は除々に川幅が広がり、それに従ってさらに浅くなっていった。船底を擦る箇所が非常に多くなる。
「!」
 フト気がつくとオレのフネは下の気室の空気が抜け、ぐにゃぐにゃになっていた。いつのまにか船底が破れたようだ。チーム“鮫”結成以来幾多の困難を越えてきた(大ゲサ)オレのシャーク1号はここで、いつかの木曽川の時のイチロー隊員の“撃沈号”と同じく、ウォーターベッド・スキップジャックと化してしまっていた。今まで過去2年間、10数回の出撃を無事にクリアしてきたシャーク1号が遂に力尽きた瞬間であった。
 ありがとうシャーク1号。2〜3回しか使われず、ガムテープでベタベタになった上、人知れず粗大ゴミとして捨てられてしまうという不遇の人生(船生)を送ったダッシュ隊員のスキップジャック“ダッシュ号”に比べれば、キミは幸せだったはずだ。今までよく戦ってくれた。もう後のことは新艇に任せて、この優しい牧田川で永遠の眠りについてくれ。そんな心境であった。
 しかし下の空気が抜けても、左右の2気室が大丈夫ならスキップジャックは沈まない。その後も時に引っかかり、時に暖かい春の日射しを浴びながらフネの上で昼寝などしつつ、我々はゆったりと川を下っていった。いや、“流されていった”という表現の方が正確な気がするほど、ショートコースながらゆとりある、心地よいリバーツーリングであった。
 合掌。

今回の教訓: 「フネはいたわろう!」