活動記録其の24・万水川〜犀川編
文:隊長
2001年9月9日
わさび畑の清流! 台風直前の万水川に浸る
〜そしてmiki-fish旦那隊員は撃沈で小舟に開眼!?〜
 わさびは水のキレイなところでないと栽培できないものらしい。

 
大型の台風15号が八丈島方面から着々と日本列島に向かってきていた9月9日(日)、早朝の約6時45分、オレ(隊長)は中央道を恵那峡サービスエリアに向け、ひた走っていた。チーム“鮫”初の豪華別荘合宿付きツアーは長野県・万水川(よろずいがわ)〜犀川という、かなり遠方への文字通り“遠征”である。予定では9日(日)はゆった〜り移動日で、10日(月)に朝から下って帰ることになっていた。そこへ台風の襲来である。その進行速度、方向からして、月曜にはカヌーツアーどころでは無くなると踏んだ我々は前夜、急遽予定を変更。早朝7時に恵那峡SAに集合し、9日にいきなり川を下って別荘に一泊、10日はのんびりゆったり帰ってくるという作戦に出た。

 天候が除々に下り坂の中央道・恵那峡SAにはすでにmiki-fish夫妻、イシカワ顧問、そして今回遂にスターンズ・レイカーソロを購入&参戦で正隊員となったシミズ隊員の姿があった。オレを含めたこの計5名が今回の参加メンバーである。
 山肌から所々霧が湧き出る様が見える幽玄な中央道だったが、長野方面に進むにつれて天候も回復してきたような気がした。時折小雨が降るものの、強引に「カヌー日和」といえば言えなくもない感じである(意味不明)。
 中央道から長野道に入った我々は豊科で高速を下り、地図を見ながら予定のアウトポイントである犀川の睦橋を目指した。この段階でまだ午前約9時半である。道沿いのスーパーすらまだ閉まっている。なんという早さだろう(←5時起きしたんだから当たり前)。しかしそこまでの運転中、密かにオレが何度も
睡魔に襲撃されていたことは言うまでもない(←これも5時起きしたんだから当たり前)。
 睦橋に着いてみると、クルマを停められそうなところがない。この橋がよく使われるアウトポイントということだったので、クルマ停めるトコくらいあるだろうとタカをくくっていたのが失敗だったかもしれない。仕方なく少し下流の日野橋まで行ってみる。すると、日野橋の下辺りに都合良く川に下りるところが作ってあり、その脇には3台ぶんくらいの駐車スペースがある箇所を発見できた。ツイてる。天候もどうやら昼過ぎくらいまでは余裕でもちそうである。

 miki-fish夫妻とイシカワ顧問のクルマをそこに置き、シミズ隊員とオレのクルマで万水川へ向かう。いよいよ
わさび畑の中を流れる超☆清流とのご対面だ。眠気も徐々に醒めてくる。
 途中、食糧を仕入れた我々は万水橋の脇の湧水公園(公園の池の片隅からマジで清水が湧いてる。しかも看板の成分表を見ると市販のミネラルウォーターより上質で、普通に飲めるらしい!)前にクルマを停め、万水川べりに降りるとフネのセットアップを開始した。

 他にもポリ艇を並べてセッティングしている人たちが居たりして、
「ここはカヌーイストが集まる有名スポットなんだなぁ!」
と、まるで田舎から都会に出てきたばっかりのコドモの様にドキドキしてくるオレ。しかしセッティング中にオレのシャーク2号(GUMOTEX Jr.)の二つしかないバルブの片方が

「メシッ!」
と亀裂が入ったような音を立てる。前回、北山川でチャックが壊れたシャーク3号の代わりに、瀬はせいぜい2級しか無いという今回のコースならこれでよかろうと思って持ってきたのだが、イキナリ不安になる。ま、いい。今回は心強いことに航空母艦がいるので、何かの時は拾って貰おう(オレを)と勝手に決めてそのまま行くコトにした。

 今回は野田知佑師のマネをして、ビーチボールを浮力体代わりにフネの背中側に押し込むので、いつもよりは少し安心(?)だ...と思う。足先にもフットレスト代わりにスイカ型のビーチボールを押し込む。さらに今回は調節可能なサイ・ストラップを自作して追加してあるのでコントロールも容易(のハズ)である。下にはお風呂用のウレタンマットを整形したものとクッション入りの折り畳みベンチを追加して居住性も上げてみた。
 ってゆーか、
改造しすぎていよいよワケが分からなくなってきたシャーク2号だが、見てくれよりスピードは出るのだ。

 万水川は予想以上に水量があり、また流れが速く、そして冷たかった。ヒザ上くらいまでの、流れの強い所でフネに乗りこむのは予想以上に難しい。しかしここで疎沈しようものなら風邪のウィルスに自らの体を宿として提供するようなものである。うーん、やはりもうウェットか、沈しなくてもウェダーくらいは要る季節になってしまったのだろうかと、少しの間短い夏を惜しむ(←って、ここが高原だってコトをすっかり忘れてる)。  しかしスタートする頃にはポンピングで汗をかいたためか、そんなことはキレイさっぱりと忘れてしまっていた。

 猛スピードで流れていく周りの田園風景がいつものように我々の顔を弛めていく。タマにある小さな瀬では水を被るが、その冷たい水が気持ちすらシャキッとさせてくれる様に心地よく感じられる。水質は非常に良く、川底の藻が下流に向けてたなびいているのがクリアに見える。空も、セッティングしているうちにいつの間にか晴れて、青空となっていた。
 岸辺を散歩する人達が両岸の草の上に青空をバックにして見える、なんだか懐かしい感じのする光景だ。そんなノスタルジーな感覚に浸りつつ、写真を撮ろうとカメラのシャッターボタンを押す。

「...」
 また壊れやがった。コイツは北山川の時も突然、ウンともスンとも言わなくなりやがったのだ。家に持ち帰るとちゃんと動くのに、どうやら川に来ると機嫌が悪くなるらしい。そんな性格悪のカメラには今回で引導を渡すことにして、風景に目を戻す。やはり顔が弛んでくるのがわかる。
 しかし何度か波を被ると、デッキカバーを着けてこなかったため、シャーク2号は船内水深(?)が15cmくらいの水船になってしまった。シミズ隊員のスターンズ・レイカーソロもセルフベイラーが付いていないため水船になっているようだ(本当はオレのシャーク3号と同じくセルフベイラー付きのスターンズ・リバーランナーにするはずが、今年分はもう売り切れてしまっていたらしい。あのフネ、人気あるんだなぁ...)。オレは用意してきたスポンジでせっせと水を排出するがなかなか水は減らない。そうこうするうちに遂にあの、故・黒沢明監督の映画「夢」で、幻想的なシーンのロケ地となったわさび園、水車小屋に到達。
「おぉ、風情があ...」
と、流れが早すぎてアッと言う間に通過しそうになる。あわてて右岸の比較的流れの緩い支流の方(水車があって観光客がウジャウジャいる方)に漕ぎ寄せ、通過してしまった水車を見に漕ぎ上がる。
 イシカワ顧問は慣れたものでこの流れでもグイグイ漕ぎ上がっていくが、シミズ隊員はまだダッキーに慣れていないためか、少々手間取っている。しかし重いファルトボートでは出来ない芸当なだけに、必死だが楽しそうだ。
 miki-fish夫婦隊員は航空母艦・オリノコの巨体が災いして、さすがにここでは二馬力でも漕ぎ上がれなかったのか、断念して溜まりで待っている。オレはスピードの出るシャーク2号の利点を活かしてスイスイと漕ぎ上がり、イシカワ顧問のカメラに収まった。しかし同時に、岸に大勢居る観光客たちの記念撮影の格好の餌食にもなってしまったようだ。ちょっとテレる(←自意識過剰)。
 そしてここではポリ艇に乗った他のカヌイストもいっぱい居て、見ると子供をポリ艇に乗せて練習させている親とおぼしき人までいた。しかしみんながみんな、ポリ艇にカヌー用のウェアとヘルメットで固めた、いわゆる“フル装備”である。
 我々のようなテキトーなファッションに全員ダッキーで(しかも245cmのオモチャみたいなのから405cmのラフトボートみたいなのまで混ざってるし)、PFDすらカヌー専用でもなく、また誰ひとりとしてヘルメットなど被っていないカヌー集団は明らかに「異様」に見えたに違いない。しかもその内の一艇は
背中の後ろからビーチボールがはみ出しているのだ。
 ウーム、もう少し「チーム」としての見てくれにもこだわった方がいーのだろーか...。

 それを越えてしばらく行くともう犀川との合流地点である。
「こりゃ、今日は早く終わりそうですねー」
とイシカワ顧問が言う。まったくその通りで11〜12kmの行程なのにまだ12時で、もう3分の1くらい来てしまっている。
 犀川は川幅の広い大河であった。万水川が用水路のような感じだったのと比べると川原も広く、水量も犀川本流には万水川の他に穂高川と高瀬川が合流して非常に豊富になっている。俄然、川らしくなってきた。そして流速は相変わらず早い。しかし瀬とおぼしきものはゴールまでの間に2級が2〜3箇所あるらしかったが、その他は全くと言っていいほどないのだ。
 そこでて早くもランチポイントを探し始める我々。
 結局残り行程を4kmほど残し、国道19号が通る木戸橋を越えた辺りで左岸に上陸、昼食ということになった。

 しかしここでふたつの事件が起こっていた。ひとつはオレの
防水バッグがナゼか浸水し、おにぎりの一部が被害に遭っていた。そしてもうひとつはイシカワ顧問が最近手に入れたナイキのスポーツウォッチが、ニセ物を掴まされたのか「WATER RESISTANT 30」という表示があるにも関わらず、全面曇って文字盤が全く見えなくなっている。
 沈したワケでもないので、ただしぶきがかかっただけでヤラれてしまったらしい。防水バッグは浸水バッグとなり、防水時計は
浸水時計と化した川原で、トン汁を作って堪能した我々は
「寒い」
というmiki-fish旦那隊員がたき火を熾したにも関わらず、ロクに火にあたることもなく消火してふたたび川に出た。

 トン汁で元気を取り戻したmiki-fish旦那隊員はかねてからの要望通り、オレのシャーク2号に乗る。なんでも航空母艦・オリノコは安定しすぎており、旦那隊員曰く
「技術が身に付かないで、瀬に飛び込む度胸だけがつく」
とのことで、小さなカヌーで練習してみたいらしかった。それが悲劇を呼ぶことになろうとは、その時、まだ誰も知る由がなかった。
「おおおぉ〜!」
旦那隊員の代わりにオリノコに乗ったオレは、その
驚異的な安定性と、やたら高い目線に感動してはしゃいでいた。しかも二人艇に二人で乗るのは初めてである。前席に乗っている妻隊員のパドリングに合わせて漕ごうとするが、よく見て合わせないとパドルが当たってしまう。意外と難しい。
 そして見ると妻隊員の肩口や頭には水滴がいっぱい付いている。 
(あっ! やばい、オレ?)
と思うが、よく見ると妻隊員自らのパドルが水を空中にハネ上げ、その滴が結構肩口に落下しているのだった。思わず自分のパドリングもチェックする。なんだか、そんなコトを気にしていると腕が萎縮してパドルを漕ぐのに力が入らない。二人艇にはこういう苦労もあるんだなぁと独りで感心する。
 その頃、旦那隊員はグングン先を行き、点になっていた。ハタからみると小さなフネで大きな川を行くのは非常に心細く見える。しかしそれこそが冒険する、正しい男の後ろ姿のように見えた。オレが乗っている時もあんな風に見えるのだろうか。しばらくして追いついた時に訊いてみると、
「かなり怖いです。しかし
カヌーに乗ってるって感じがしますね」
とのコトだった。やっぱりオリノコに乗り慣れていると相当怖く感じるんだろうなぁと思う。
 と、前方に1級くらいの瀬を発見。果敢に突っ込む旦那隊員。後ろから見てるとメチャメチャ危なっかしいフネだ。波に翻弄されているように見えるが、妻隊員が言うにはオレが乗っている時もガンガン揺れてて、やたら危なっかしく見えるらしい。本人は2級くらいまでなら余裕のつもりなのになぁ。
 そして我々のオリノコが、旦那隊員を抜いて前に出た時だった。左カーブに絡んで右岸の護岸された岸からハミ出した、テトラのようなものが作る2級くらいの水の盛り上がりが...。左カーブなので右岸に膨らむオリノコ。
「うぉっ! ぶつかるぅ〜!!」
とオレはアセるが前の妻隊員は慣れてるのか得意の絶叫すらしない。が! 横腹に岩が! と思ったが、ぶつかってもビクともしないオリノコ。横下からの衝撃で、一瞬上体に遠心力のようなものがかかり、振り落とされそうになる。何とか堪えたが、フネ自体はほとんど傾かなかった。何たる安定性。
 逆にフネが安定しすぎているから乗っている人間にダイレクトな横Gがかかるのではないだろうか。大井川で旦那隊員が振り落とされたのが分かる気がした。

  しかしその瀬はシャーク2号に乗って30分も経っていないmiki-fish・旦那隊員には
凶暴すぎた。瀬の後の溜まりに入って振り返ると、旦那隊員が右岸寄りから岩に向かっている。左に寄るように合図するが、すでに遅かった。盛り上がりにモロに突っ込み、波を越える時にバランスを崩す旦那隊員。コンマ5秒後、シャーク2号はキレイにひっくり返り、撃沈した旦那隊員は水中の人となっていた。
 
逆さまになったシャーク2号に掴まったまま流されてきた旦那隊員が、なんとか岸に上がった時には彼の顔からサングラスと帽子が消えていた。スキップジャックならいざ知らず、イマイチ安定の悪いGUMOTEX Jr.は乗りこなすのに少々時間が掛かるのかもしれない。
 それでも旦那隊員はフネを担いでもう一度この瀬にチャレンジする。そして2度目は瀬の前で後ろ向きになったり、瀬の中でパドルを落っことしそうになるも、無事にクリアしたのだ。もう慣れたらしい。ダッシュ隊員と違って順応が早いようだ。
 だが、ダッシュ隊員と同じくメガネバンドをしていなかったのが悔やまれる。フネより高価な、度付きサングラスを犀川に寄付してしまった。ちょっと妻隊員の目が怖い、旦那隊員のようだった。

 その後はオレがふたたびシャーク2号、miki-fish夫妻がオリノコと、元のサヤに戻って犀川のゴール・日野橋を目指す。そこからは流れも遅くなり、イシカワ顧問などはフネの上で
爆睡したまま日野橋まで、文字通り「漂流」していったのだった。

 岸に上がってフネを干していると、しばらくして雨が降ってきた。まるで台風が我々のツアー終了を待っててくれたようである。その後、我々はmiki-fish・妻隊員の勤務先の上司様の別荘に行き、夜は雨を避けてバルコニーの下で焼き肉パーティーを楽しんだのだった。そんなこんなでとにかく色々と楽しめた今回のツアーであった。感謝!

今回の教訓: 「防水グッズはカンペキなものを選ぼう!
そしてやっぱりメガネの人はメガネバンドを忘れぬよう」