活動記録其の50・万水川〜犀川編part−2
文:隊長
2002年7月28日
メシ炊き失敗に天誅 !?
〜万水川〜犀川・高原キャンプツアーで“激烈うーやん号”遂に沈む〜
7月27日土曜日の午後約5時30分、オレは渋滞の中でイライラしていた。家を出てから快調だったのはホンの数分で、後はひたすら渋滞渋滞、そしてまた渋滞だ。まったくいったいドコからこんなにたくさんの車が湧いてきやがるのか(オレもその一人だが)。アビルマン隊員から電話が掛かってきた。
「今どこですか?」
「平安通」
「どこの?」
「平安通ってそんなにあるのか?」
「名古屋の!? ウソー!」
と言ったと思うと、いきなりバカ笑いを始めるアビルマン隊員。相当な精神的ダメージから脳神経がショートしたらしい。壊れたおもちゃのような機械的バカ笑いはその後約20秒間続いた。
 1時間ほど前に(今、中津川)というメールを打ってきたアビルマンである。国道19号をチンタラ走ってももう長野県側くらいには入っているかもしれないタイミングだ。しかしオレはまだ名古屋市内を出られずにいた。まったく、失敗である。バカ正直に国道19号で行こうと思ったのがそもそもの間違いなのだ。裏道を抜けて多治見まで出て、そこから高速に乗れば良かったのだ。とは言ってもそんなことは今さら後のお祭りなのだった。

 それから約1時間半掛かってやっと中津川にたどり着く。アビルマン隊員はもう塩尻を過ぎ、松本に迫っているらしい。ま、先にキャンプ場所を見つけて薪でも拾って置いてもらおう。そう思った途端、翌日の朝食としてオレが作ることになっていた冷やし中華を仕込むのを
すっかり忘れていたことを思い出す。なんだか、今日はツイていないらしい。出がけにもカメラを忘れたのに気づき、取りに帰っていたため30分以上ロスしているのだ。
 早速スーパーに寄って買い物をしていると、またアビルマン隊員から催促の電話である。
どーやらもうほぼ現地のようだ。オレの持っている地図上で、川原まで車で降りられそうな所を調べ、指示してやる。
 スーパーを出てしばらく走るとまたもやメールだ。どうやら着いてしまっただけでなく、川原にも予定通り到着してしまったらしい。
「早く〜」
などと遊園地に連れていってもらう前の子供のようにゴネるアビルマン隊員。そこで寂しがりのアビルマンを鍛えるべく、わざわざ高速より30分ほど
余計に時間が掛かる下道を選択する優しいオレであった。

 約3時間半後。やっと川原にたどり着く。もうとっぷりと日が暮れてほぼ真っ暗に近い草の中のジャリ道を、川原に向かって車を進めた。と、突然ヘッドライトに浮かび上がる怪しく
丸っこい人影。しゃがみ込んでピクリとも動かない。
「野人?」
 一瞬そう思ったが、それは当たり前のようにアビルマン隊員であった。しかし真っ暗闇の川原のたき火のそばに、丸っこいオッサンが背中を丸めてジッとしゃがみ込んでいる様はどう見てもアレなのだった(意味不明)。

 ま、そんなコトはいいとして早速鳥鍋の制作に取りかかる。その川原は前回キャンプした熊野川の川原に比べると、とても狭かった。水がすぐそば、わずか10m先を流れており、しかも対岸の道路の街路灯が反射して、かなりな勢いのスピードであることがこの暗闇の中でも浮き上がって見てとれた。ちょっと怖い。いや、正直言ってかなり怖い感じがした。
 鳥鍋を食べ終わった頃、シミズ隊員が到着。今回はこの後、深夜発・早朝到着予定のうーやん隊員、そして同じく早朝到着予定のやまちん隊員の5名が参加予定メンバーである。 鳥鍋の残りをアテにしないで途中のコンビニで牛丼弁当を買ってきたシミズ隊員は、翌日のお昼が牛丼制作予定となっているコトをこれまた
すっかり忘れていたのだった。
 川原が狭いとキャンプしていてもなんだかイマイチ開放感がない。特にすることもなく、しばらくして午前約0時すぎ、我々はさっさとテントに潜り込んだ。

 翌朝7時すぎに起きてみるとうー隊員が着いていた。しばらくしてやまちん隊員もやってきて、やっとメンバーが勢揃いする。勢揃いしたメンバー5人で6人前の冷やし中華を作って食べた我々は本日のアウトポイント「日野橋」へ向かった。昨年とまったく同じ所に車を置き、上流の万水川エントリーポイントに向かう。

 万水川のエントリーポイントも前回と同じポイントである。少し上流に伸ばそうと思って行ってみたのだが、車を置く所が民家の目の前となってしまい、おじさんが窓からジーッと見ていたので、気弱な我々は場所を変えてしまったのだった。結果的には昨年同様のエントリーポイントとなってしまったが、着いてみるとわずか2・300m上流の部分にやたらと釣り師が立ち込んでいて、上流で強引にエントリーしていたらあの中を抜けてこなければならなかったのか、とちょっとムネをなで下ろしてホッとした、これまた気弱な我々であった。

 湧水公園前の万水川べりでフネを組み立て始める。反対側の川原の藪の中にはジッと竿を握っているサングラスをかけた
黒沢明のようなお爺さんがいた。これから向かうわさび園付近の水車小屋がある辺りは、故・黒沢監督の「夢」のロケ地となったことでも知られるポイントだ。なんかの因縁だろうか...。それとも単なるコスプレか!?(←絶対違う)
 そして反対側の堤防を見るとどこかで見たようなフネが...。GUMOTEX・ヘリオスのラックスタイプだ。平均年齢で我々より
全体に若そうな皆さんがポリ艇、ファルトボート、そしてダッキーでエントリーする準備をしていた。
(おお、なんだかスゴイ編成だが、なんとなく我々と趣旨が近そうなチームだなぁ)
などと勝手に思う。

 てなコトでセッティングができたので早速エントリーだ。万水川は流れが速く、うかうかしているとフネだけ流されてしまいそうになる川だ。前回学習していたオレはウマいこと“シャーク4号”GUMOTEX・ヘリオスに乗り込むことに成功する。今回は途中で牛丼を作ったりする予定なので荷物満載である。
 続いてシミズ隊員。思えば昨年、この万水川は“鮫”に正式入隊し、同時にデビューした飛騨之守弐号の進水式を行った思い出の場所である。無事エントリー。そして“疎沈製造船”GUMOTEX・サファリ“激烈最強号”を駆るアビルマン隊員もなんと無事にエントリー。そして万水川が九頭竜湖に続いて2回目の使用となる“やまちん2号”アキレスSW126を駆るやまちん隊員、“疎沈製造船”のハズがなぜか購入以来一度も撃沈どころか疎沈すらしていない“激烈うーやん号”GUMOTEX・サファリを駆るうー隊員と続く。
 と、うー隊員が
いきなり乗り沈をカマし、流れ出すサファリを押さえている。遂にやってしまった。“激烈うーやん号”初沈の瞬間だった。早くもスタートにして対岸のギャラリーが見ている前でやらかしている“鮫”である。うー隊員の新艇不沈伝説は今日はイマイチ濁っているここ万水であっさりと、かつあっけなく崩れ去ったのだった。
 そう、今日の万水川はいまひとつ濁っていた。せっかく天気は最高、空気も最高なのだが、水質がイマイチなのは癒し系カヌーチームの我々には残念で仕方がないことなのだ。 スタート後しばらくは用水路チックな所が続いている。流速は相変わらず早く、グングン進んでいく感じだ。写真を撮ろうとして漕ぐのを止めるとスグにフネの向きが変わってしまう。小さなウェーブがあちこちにあって、シミズ隊員とアビルマン隊員は突っ込んでは喜んでいる。
 少し木々が両側から川の上に覆い被さっている所が見えてきた。水車小屋は近い。前回と同じく、うかうかしているとアッという間に通過しそうな勢いだ。がんばって右岸側の流れに入って漕ぎ上がる。万水川本流と違って、わさび畑方面から流れてきている水は澄んでいて、今日もとってもキレイだった。そして高原の水らしく冷たい。例によって水車小屋の周りには観光客がいっぱいだ。衆人環視の中漕ぎ上がっていく我々。やまちん隊員はまだ漕ぎ上がりはツラいらしく、少し遅れているがなんとか上がってきた。
 岸に寄せてフネを引っ張り上げ、上陸してわさびアイスを買ってきて食べる。高原のカヌー満喫って感じだ。シミズ隊員はここでも清流に喜び、かなり水温が低いにも関わらずボディラフティングを始めている。水車小屋見物の人たちの前にライフジャケットひとつで流れていく
笑顔のドザエモン...のようなシミズ隊員。観光地の景観をひとりで破壊しているシミズ隊員だが、確かにこんなにキレイな清流には身ひとつで浮かぶのがもっとも気持ちいいのだ。  ここでは他にもカナディアンカヌーに乗った親子やポリ艇で練習しているオバサマ、そして先ほど同じ所の対岸からエントリーしたパーティーとも出会う。やはり有名カヌースポットなのだ。
 観光客の皆さんはカヌーを珍しそうに眺めている。話しかけてくる人もいるが、うー隊員はその中の一人に、“激烈うーやん号”の後ろに積んであった鍋を目撃されて、
「おねーちゃん、鍋が似合うねぇ」
などと言われて
「失礼なー」
とブ然としていた。

 しばらくして我々は再び出発した。そこからの万水川は原生林の中を流れているかのようなロケーションの所がしばらく続く。とてもいい雰囲気だ。わさび畑方面からの水で少し濁りがとれて、水面下にたなびく藻が見える。これこそが昨年我々が見た本来の万水川である。しかしそのステキな区間もこれまたアッという間に終わってしまうのだった。犀川との合流地点である。

 犀川に入るとこの先には穂高川や高瀬川なども合流しており、そのあたりではちょっとしたウェーブが楽しめる。川幅もグッと拡がり、突然大河に出たかのような雰囲気だ。しかし流速は相変わらずかなり早い。
 流速の早さから、距離のワリにかなり早く着いてしまうのがこのコースの難点である。そこで我々は昼食ポイントを探し始めた。右岸にキャンプしている人たちが多い川原を見ながら通過し、そのしばらく後の右岸にフネを着ける。
 本日のランチは牛丼である。うー隊員が飯炊き女を、アビルマン隊員がその他の制作をかって出たのでお願いして、オレとシミズ隊員、やまちん隊員は川に浸かってまったりする。今日はこの後にスイカまで用意してあるのだ。以前の熊野川では夕→朝→昼と徐々にメニューが貧しくなっていったが、今日は違う。ちょっとリッチな感じである。
 が、我がチーム“鮫”のやることがそんな予定通りスムーズに
行くはずもなく、やはり問題は起こったのだった。うー隊員の炊いていたご飯が不思議な匂いを発し始めたのだ。そう、それはもちろん炭水化物が焦げているニオイであった。途中で
「水が多すぎるかも?」
と、少し(たっぷり?)捨て、
「赤子泣いてもフタ取るな」
の鉄の掟を破って、たびたび
「まだかな〜」
などとフタを取って中を確認していたのが原因のようだ。
 結局完全に焦げる前に火を止めてしまった。結果できたのは、かなりシッカリと芯が残った、それでいて一部焦げた、まだ「ご飯」に成りきっていないカタい「コメ」なのであった。
 うー隊員は鍋のせいにしているが、以前の矢作古川では同じ鍋で比較的マトモに炊けているので、言い訳としては苦しい所だ。アビルマン隊員が作っている牛丼のあん部分はタマネギの甘みが出て、いい感じの香りに仕上がっている。なにやらここで川原料理の序列が決まってきてしまっているようだ。
 早速乾杯して食べ始めるが、頑張って食ってもやはり「コメ」はキビしく、みんな残してしまっている。結局お百姓さんに懺悔しながら川原に穴を掘って残りを埋めてしまった。イマイチお腹が膨れきっていない我々を救ったのは、前夜シミズ隊員が牛丼弁当を買ってきたため余った鳥鍋用のうどん、ひとたまだった。牛丼のあんの残りの中にそれを入れて煮ると、
ステキな牛肉うどんが出来上がった。
 続いてスイカを切って食べる。しかし5人でスイカ一個は多かったようで、後半は押し付け合いになる。それにしても天気のいい夏の日に、川に浸かってスイカを食べているととても幸せな気がしてくる。なんてのどかで正しいレジャーなのだろう。これが、名古屋から1時間くらいのトコだったら、とてもお手軽でもっと最高だっただろう。
 と、ヘンなトコで日本の夏を感じていた我々はしばらくして三度目のエントリーをする。あとは大した距離は残っていないのだが、昨年miki-fish旦那隊員のサングラスを奪った2級の瀬(アビルマン隊員が活動記録を読んで勝手に
“サングラスの瀬”と呼んでいたので結局そういう命名となる)が待っているのだ。

 我々が前夜キャンプした川原が見えて来た。と、その左岸にカヌー向けと思われる(危ない! 左に寄れ!)という看板を発見する。(そんなに危なかったっけ?)と思いながら左寄りに進んでいくとすぐ、右岸に見覚えのある護岸が見えた。なんと我々はサングラスの瀬の
すぐ近くでキャンプしていたのだ。
 しかしそれはなんだか昨年感じたような脅威の瀬には見えなかった。水量の違いのせいだろうか、落差はツブれて1級程度になっている。ヒネリもない。そこで突っ込むが結局やっぱりなんてコトもなく、全員普通に通過してしまった。
 もう今日の瀬はこれで終わったかと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。ちょっと行ったところで流れが左右に分かれている所があった。右へ行く我々。その分断された二つの流れが合流している所でグイッとへさきが曲げられ、急にスピードが上がる所がある。
「うっひょお〜!」
とウェーブと調子の両方に乗っかって流れていく。かなり爽快気分だ。が、アビルマン隊員、シミズ隊員と続いた後、うー隊員がこの合流の流れに側面を押し込まれ、撃沈してしまう。朝まで無沈を誇っていた“激烈うーやん号”の
2度目の沈は撃沈であった。
 しかも流れが結構早い犀川である。なかなか岸に寄れず、また救出もしにくい。なんだかんだで
300m以上流されてしまったうー隊員である。
 その後もまたしばらく行くと右岸が護岸されている所で大きなウェーブが連続している箇所があり、かなりタテに揺さぶられる。昨年来たときは護岸されていなかったので、この工事のおかげで流れが変わったためにできたものと思われる。そして今日の水量の多さがそれを一段大きなウェーブにしていたのだろう。
 今度はうー隊員も無事クリアする。やまちん隊員も無事クリアしたのだが、シミズ隊員と同じくセルフベイラーが付いていないため、かなり水船になっている。しかもアキレスSW126はフロアチューブを留めるものが何もないため、水船になると艇内の水の上にまたフロアチューブが浮いてしまうらしく、四苦八苦している。ううむ、安定したフネなのだが、意外な所に妙な欠点があるようだ。ちょっと改造するしかないのだろうか。

 結局犀川から上がったのは午後4時すぎである。上がってみるとひとつ事件が起こっていた。うー隊員のフネに積んであったチーム“鮫”初代総合鍋(今年度より導入)が
ベコベコにヘコんでいたのだ。どうやらうー隊員が撃沈した時、ゴムロープで固定してあった鍋も逆さになったフネから外れて川原をガランゴロン曳きずられて流され、おかげでベコベコになってしまったらしい。うー隊員は
「ご飯をうまく炊けない鍋に
お仕置きをしてあげました」
などと言っている。恐ろしい八つ当たりである。

 とまぁ、ご飯系メニューの制作には今後に課題を残しつつも、とりあえず楽しく遊べた今回の万水川〜犀川キャンプツアーであった。次回は万水川ではなく、穂高川か高瀬川から入って犀川、なんてコースもいいかなぁなんて思ったオレだった。 

今回の教訓: 鍋でご飯を炊くなら、はじめチョロチョロ中パッパ、赤子泣いてもフタ取るな。そして失敗しても鍋には当たるな!?